カーボンニュートラルの最難題「トランジション」とは?

ここ数十年で世界的な問題となっている地球温暖化。現在、その対策としてカーボンニュートラル(温室効果ガスの実質排出ゼロ)を推進する動きが本格化しているが、ある課題が浮き彫りになっているのをご存知だろうか。その課題とは「移行(トランジション)」、つまり従来の化石燃料から再生可能エネルギーなどへ切り替える難しさだ。トランジションはなぜ難しいのか、そしてカーボンニュートラルを青写真で終わらせないために日本はどうするべきなのか。日本総研で環境・エネルギー分野などのコンサルティングに長年従事し、第一線で脱炭素の潮流を分析してきた段野孝一郎氏が解説する。

なぜ今「カーボンニュートラル」が求められるのか
 IPCCは、1990年より「人為的活動が及ぼす地球温暖化への影響についての評価の変化」について分析・報告を行ってきた。

 第1回報告書(1990年)では、「人為的活動による温室効果ガス排出は気候変化を生じさせる恐れがある」とされていたが、第5次報告書(2013~2014年)においては、「地球温暖化には疑う余地がない。20世紀半ば以降の温暖化の主な要因は、人為的活動の可能性が極めて高い。」という表現に改められ、今日では「産業革命以降の地球の平均気温上昇は人為的活動によって引き起こされたものである」というコンセンサスが確立されている。

その後2018年、IPCCでは、いわゆる「1.5℃特別報告書」についての議論が行われた。この報告書では、2017年時点での人為的な活動による世界全体の平均気温の上昇は約1.0°Cとなっており、このままの傾向で地球温暖化が継続すれば、2030年から2052年の間に気温上昇は1.5°C以上に達する可能性が高いと分析している。

 地球温暖化により、平均気温が上昇すれば、海面上昇や干ばつなどによる物理的被害の程度も大きくなる。気温上昇を1.5℃以内にとどめることで、それらの被害は相対的に軽減することが可能となるが、そのためにはCO2を2030年までに約45%削減、2050年前後にはネットゼロにする必要があるとされた(いずれも2010年対比)。これがいわゆる「カーボンニュートラル」である。

 その後、EUは2018年11月に打ち出したカーボンニュートラルに関するビジョン「EU長期戦略-A Clean Planet for All」において、「2050年ネットゼロは技術的に達成可能であり、欧州経済にも好影響を与え得る」という見解を示し、グリーンディールなどのさまざまな施策により、2050年カーボンニュートラル達成に向けた動きを加速させていく。

カーボンニュートラル実現に向けた課題は「トランジション」
 カーボンニュートラル実現に向けてはさまざまな道筋(経路)が考えられるが、最終的な絵姿にはあまり議論の余地がない。

 すなわち、1.原子力、再エネ、CCS付火力などのカーボンフリーな電源で電気を賄うとともに可能な限りの電化を進め、2.液体燃料を使用する必要がある熱利用などの産業プロセスにおいては、水素・アンモニア・合成燃料などのカーボンフリー燃料に転換を図り、3.それでもCO2排出が残る航空分野などについては、人々の行動変容によりCO2排出量を最小化するとともに、残余排出についてはCCSや森林吸収などにより「ネットゼロ」化を図る、というものである。

このように、2050年カーボンニュートラルの絵姿は明確であるものの、その実現が難しいのは、カーボンニュートラルへの円滑な「移行(トランジション)」による。 現時点で、誰しもが想像するカーボンフリー電源の代表格としては再エネがあるが、まだその供給力は我々の生活や経済活動を支えるには十分ではなく、変動する出力を補うための技術的な対策も道半ばである。そのため、当面は化石燃料を「賢く」使いつつ、再エネを増やしていくという二枚腰の対応が必要となる。

化石燃料の削減はなぜ一筋縄ではいかないのか
 しかし、一言で化石燃料と言っても、原油・天然ガス・石炭でCO2排出量は大きく異なる。 化石燃料の使用を削減していくに当たっては、まずCO2排出量が多い石炭の消費を削減していくことが有効だ。

 2021年にグラスゴーで開催されたCOP26(国連気候変動枠組条約第26回締約国会議)では、当初、石炭の使用を「段階的に廃止」するという表現が盛り込まれることとなっていた。しかし、インドなどの新興国が激しく抵抗し、最終的に「段階的に削減」するという表現に改められた経緯があり、トランジションに関する先進国と新興国の温度差が浮き彫りになった。

 欧州では、気候変動対策に貢献し得る投資対象の分類として「EUタクソノミー」という投資基準を設けている。これまでは再生可能エネルギーなどに限られていた投資基準に対し、新たに原子力と天然ガスを位置付けるべきかどうかが議論されており、2022年7月の欧州議会以降、2023年度より天然ガス発電および原子力発電を「グリーン投資」として認める方向で検討が進められている。

 ポーランドなど化石燃料電源の比率が高い国々はこうした提案を支持しているが、オーストリアなどの気候変動対策に急進的な加盟国は反対の構えを見せている。脱石炭については異論がないところではあるが、脱天然ガスについては、EUも一枚岩ではない状況にあるのだ。

ウクライナ危機が突き付けた「皮肉な」現実
 そのような中で、トランジションの難しさについては、2020年後半から兆しが表れ始めた。まず、今後、徐々に化石燃料の消費が減少するという見通しの下、産油国・産ガス国が需要見通しに対して減産協調を行うなどの回避措置を取った結果、徐々に燃料市場価格が上昇を始めた。

 さらに、天候の影響により、平年の想定よりも風力発電の稼働率が長期に渡り低迷した結果、当初想定以上の火力発電によるバックアップが必要となり、電力用途向けの燃料需要の大幅な増加を招き、燃料価格上昇に拍車をかけたのである。その結果、欧州では電力卸売価格も高騰した。日本も、その余波を受け、石油・天然ガス価格が上昇し、オイルショック以降、初の石油備蓄の放出が行われるなどの対応が必要に迫られた。

 さらに、その後、ウクライナ危機に伴い、ロシア産の原油・天然ガス供給量が大きく絞られ、欧州のみならず、世界的な天然ガスの需給ひっ迫が生じた。トランジションとして天然ガスに重点を置き、さらにロシアからの天然ガス輸入に依存していた欧州(特にドイツ)においては、深刻な影響が生じ始めている。

 欧州は、自ら気候変動対策の必要性を訴求し、世界的な脱炭素に関するルールメイキングを推し進めてきた。トランジションの必要性についても早くから認識し、再エネ主力化、脱化石燃料をうたいつつ、原子力や天然ガスについても「グリーン投資」の範囲に含めようとするなど、我田引水的な取組でうまく立ち回ってきたように見える。しかし、その欧州が、自らトランジションの切り札とした天然ガスで苦境に立たされているのは皮肉と言えるだろう。

日本はどうするべきなのか
 日本にとっては欧州の取り組みは他山の石とする必要がある。日本はデジュール標準(公的基準)を作るのが苦手な一方、他国・他地域の定めたルールに合わせて上手く対応するのが得意であった。  

 しかし、カーボンニュートラル実現に向けては、欧州においても、ルール自体が「走りながら策定されて」おり、現下の情勢を踏まえると、不確実性もまだまだ高い状況にある。

 日本も欧州と化石燃料資源が乏しく、エネルギーセキュリティでは国外との貿易に依存している。一方、国土は非常に狭小・急峻(きゅうしゅん)であり、単位面積当たりの太陽光導入量などの指標でみると、世界トップクラスの再エネ導入率を既に実現している。カーボンニュートラルに向けてどのような現実的なトランジションを図るべきか?ーウクライナ危機が突き付けたのは、脱炭素に関する原理的・急進的な命題に対する、現実的な「解」の要請であり、わが国独自の見解が必要である。

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